山下敦弘監督の『苦役列車』からNHK朝ドラ『花子とアン』まで。稀代の才能で、マルチな芸人としてのみならず俳優として抜きん出た存在感を発揮しているマキタスポーツ。そして、『愛の渦』『大人ドロップ』『僕たちの家族』『海を感じる時』『紙の月』と、2014年は毎月のように新作が公開され、主演、助演にかかわらず、唯一無二の印象をスクリーンに刻みつける日本映画の申し子、池松壮亮。いま、旬のふたりが顔をあわせたら?
映画『この世で俺/僕だけ』は、その骨太なタイトルが証明しているように、マキタ/池松という「映画的ドッキング」を、これ以外にはないかたちで視界におさめた強力なパンチ作である。
顔面を腫らしたふたりの男が荒野を歩いていく。ひとりはスーツ姿のしがない中年男。もうひとりは、学ランを羽織った不良少年。本来、同じ場所にいるはずのない男たちが、決して馴れ合うことなく、けれども真っ直ぐ同じ志で歩いていく――
獰猛な、ある種の予感だけを叩きつける映画の幕開けに導かれるように、わたしたちは直感に満ちた物語を体験することになる。
パンクって音楽シーンで語られることが多くて、1970年代には、ステージの上から贓物(ぞうぶつ)を観客席に投げ入れたとか、とっても個人的なセクシャルなことをみんなの前でおっぴろげちゃったとか、ギターを投げ捨てたり、ドラムスティックを投げ折ったり、ベースを叩き壊したり、衝動に任せてステージから観客席に飛び降りて脚とか手足とかを骨折したり、とにかくライブに行くと日常ではありえないくらい危ない出来事が始まって、「うわ、こんなことまで起きるんだ」と驚かされたり、怒ったり、叫んだりするようなエピソードがたくさんあって、それで「これってパンクだね」と一言で済まされてしまうことが多いんだけど、そういうことじゃないんだよ。
というのが、『この世で俺/僕だけ』が描いていることである。パンクっていうのは反骨の精神である。1967年、ニューヨークのヴェルヴェット・アンダーグラウンドはアルバム「The Velvet Underground & Nico」の中でそれまでタブー視されていたドラッグやセックスについて大っぴらに歌い、1976年にデビューしたイギリスのセックス・ピストルズはイギリス王室や政府や大手企業を名指しで攻撃して、シャウトした。彼らのやったことは世界中に波及していって、今や別にバンドマンにならなくてもパンクの精神は持ち得ることはできる。校則の厳しい進学校の女子高生たちが、先生たちの無知を逆手にとって、体育の時間にザ・スターリンの曲で素敵な創作ダンスを踊るのもひそかな反骨の表れだし、何年か前、長い黒髪に清楚な外見の10代の女優さんの部屋の本棚に、「奇形児」「あぶらだこ」「猛毒」「INU」「ザ・スターリン」「村八分」「西岡恭蔵」「ルースターズ」といったパンク魂があふれるアーティストのアルバムが並んでいたのがテレビでオンエアされたのも、彼女がただ、ニッコリ笑ってかわいいだけの都合のいい美少女じゃないことを証明していて、これをパンクと言わずしてなんて言おうか。
権力者に決して飼いならされないぞと、従順な者として生きることを断固拒否すること。そう、従順ならざる者になること。でも、ただの無法者になるのではなく、オリジナルになるために自分の手ですべて築き上げるDIY精神を持っていること。それが、パンクであるということだ。そして、『この世で俺/僕だけ』は、日常に流されていた、普通の男たちがまさにパンク魂を持ち得るものとなる過程を、サイレント期の映画のスラップスティック・コメディとして成立させることを目指した挑戦作と言えるだろう。
マキタスポーツ演じる「ちばらき損保」の伊藤48歳は、年齢的に、1970年代のパンクブームが、80年代になってYMOやヒカシューといったテクノバンドに駆逐されていくのをみたギリギリの世代に違いない。彼が大人となってパンクをやっているときにはもう、町田町蔵は役者となって文章も書いていた。そんな彼は理由あって音楽をやめ、どうみても無能な上司に文句ひとつ言わず、企業の犬として、黙々と自分の時間を捧げ、働いている。
一方、池松壮亮が演じる黒田18歳は、根は素直でよさげな若者であるが、この年齢の若者にありがちな、ただ漠然と、親世代へ唾を吐き、反抗して、グレている。彼は「JAGATARA」の江戸アケミの名前すら、きっと知らない。でも、シャッター街として朽ちていくだけの運命をただただ静観している大人たちに融合するような精神は持ち合わせていないし、だからといって、利権の絡んだ大型商業施設の進出にもろ手を挙げて融合する素直な若者でもない。わけのわからないエネルギーのぶつけ先が、市長選に絡んだ赤ん坊誘拐事件と重なって、伊藤と黒田の「従順ならざる者」のスイッチを押すのである。「この世で俺/僕だけ」しか、この赤ん坊を救う者はいない。その自立自助の精神はまさにパンクだ。権力に頼るな、もたれかかるな、大人のしがらみに絡み取られるな、責任を放棄するな。だから俺と僕はひたすら走って逃げて、殴られ、でも、それでも立ち上がる。うん、いいんじゃないだろうか。
ただ、ひとつだけ文句を言うと、若き日の伊藤の歌うパンクのメロディがスィート過ぎる。もうちょっと、シャウト系でブラックだったら、よかったな。パンクの終焉に10代の女子高生だった身として、ここはちょっと辛口。